最近、息子がすこしずつお留守番ができるようになってきた。
「もう大丈夫」という変化ではなくて、
タイミングが合えばそっと背中を押せるようになってきた——
そんな静かな進歩だと思う。
息子は昼夜が逆になっている日が多いから、
わたしが外に出るのは、眠っているあいだがほとんど。
玄関には、A4の紙にマジックで大きく書いた
「さんぽに
いってきます」
の文字を貼っておく。
目が悪くても、この大きな文字なら安心できる。
もし起きてしまっても、不安にならないように。
この大きな張り紙が、ふたりにとっての“安心の合図”になっている。
出かける前には、必ず「行ってもいい?」と声をかける。
最初のころは、ほとんど「だめ」ばかりだった。
わたしが少し外に出たいと思っても、息子の気持ちは追いつかない。
それが普通で、それがそのときの精一杯だった。
それでもある日から、
どこへ行くのか、どれくらいで帰るのかを、具体的に伝えることを大切にしてみた。
「近くのお店で、これだけ買ってくるね。5分で戻るよ」
「公園をぐるっと歩くだけだから、20分くらいかな」
知っているお店の名前や、いつも通る道を合わせて伝えると、
息子の表情が少しだけ緩む瞬間がある。
そして、帰ってきたあとに
「ありがとう、買い物ができてよかったよ」
「ありがとう、外は風が気持ちよかったよ」
と伝えるようにした。
どこへ行き、どんな時間を過ごしてきたのかを素直に言葉にすると、
息子も「そうだったんだ」と安心してくれることが増えた。
今でも、「遠いよ」「長すぎるよ」と言われる日はたくさんある。
でも、立ち止まる日もふくめて、
わたしたちにとって大切な“歩幅”なのだと、ほっとしながら思えるようになった。
タイミングが合う日は、息子は深く眠り、
わたしはそっと外の空気を吸いに出かける。
ほんの短いさんぽでも、久しぶりに自分の足で歩く道は、
からだの奥にこわばっていたものを、少しずつほどいてくれる。
そっとドアを閉め、玄関を離れるだけでも、一歩の成長を感じられる。
夜になって息子が起きてきて、
「出かけてたんだね。知らなかったよ」
と落ち着いた声で言われたとき、
胸の奥にふわりと灯りがともったようで、心がやわらかくなった。
そんなふうに受け止めてもらえる日が来るなんて、あのころのわたしは想像もできなかった。
一度だけ、思わぬ出来事があった。
まだ起きないだろうと油断して、夜空を見に10分ほど散歩に出かけたときのこと。
帰ると息子が起きていて、
「家にいないからびっくりした。張り紙があって良かったけど、こわくてトイレにいた」
と怒りながらも安堵した声で言った。
その言葉が胸にしみこんで、
息子の不安に気づけなかった自分が申し訳なくて、ぎゅっと胸が痛んだ。
それでも息子は怒らず、
「そうだったんだね」とやわらかく受け止めてくれた。
その優しさに救われたのは、きっとわたしの方だった。
心配で、ひとりにするのが怖かった。
でも、少しずつ手を離していくことも必要で、
“守る”だけでは足りなくて、
“信じる”ことを学ばせてもらっているんだと気づかされる。
息子の成長を感じたのはもちろんだけれど、
もしかしたら、わたし自身も息子に育てられているのかもしれない。
そんな気持ちが、静かに胸に広がった。
安心して外に出られることをひとつひとつ確かめながら、
息子を信じてみてよかった。
いつかまた、ふたりでさんぽに出られたらいいな。
そんな未来の景色を、そっと思い描いている。
今日はちょっとだけ、息子とわたしの小さな冒険にお付き合いくださりありがとうございます。
そっと見守ることで安心できることがある。
信じて待つことで、子どももわたしも少しずつ自分の足で歩ける。
いまは簡単にさんぽに出られるわけではないけれど、
少しずつその日が来るように、焦らず、そっと歩幅を合わせていきたいな──
そんな気持ちを、そっと添えて。
今日も『さんぽ』にお付き合いいただきありがとうございます🌿
▶ 息子との小さな挑戦のはじまりとして、お留守番できない息子(きみ)の気持ちと、小さな挑戦もご覧ください。

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