あの日の息子と、昔のわたしが重なった日

夕方前の公園で咲く、二輪の蝋梅の花🌿

帰り道、胸の奥がずっとざわついていた。
息子の涙が、時間を越えて、
わたしの中に残っているものに触れていた。
今日のものなのか、昔の記憶なのか、わからなくなる。
ちゃんと話を聞いていたはずなのに、
気づけば、昔の景色を思い出していた。

どんな言葉をかけたらいいのか、いつも迷う。
わたしはそのたびに、自分の過去を思い出す。
同時に、「こう言えばいい」とされている
見本のような言葉も、頭の中に浮かんでくる。

それらを、そのまま口にすることはない。
息子には合わない気がするからだ。
だから、その間を行き来しながら、
この子にとって、いま必要な言葉はどれだろうと考える。

それが正しいのかどうか、
正直なところ、わからない。
それでも、雑に言葉を投げるよりは、
立ち止まって選びたいと思っている。

前なら、もう少し簡単だった。
「それも経験だよ」と、心の中でつぶやいて、
自分を落ち着かせることができていた。
そう言えば、深く傷つかずにすんだからだ。

息子のことを考えているつもりで、
本当は、自分を守るための言葉を選んでいたのかもしれない。

でも今は、同じやり方ができない。
息子の不安や悔しさを前にすると、
そのまま自分のもののように胸に入ってくる気がする。

昔のように言葉で距離を取ることができなくなった。
守るために引いていた線が、
いつの間にか、ほどけてしまっている。

目の前で不安そうにしている息子を見ていると、
過去のわたしと、いまの息子の区別がつかなくなる。
守れなかった記憶が、また動き出してしまう。
それが苦しくて、逃げたくなるときもある。

それでも、言葉を選ぶことはやめたくない。
正しいかどうかはわからないけれど、
今日のわたしには、これしかできなかった。

帰り道の
長い、長い廊下
声を殺し、前がぼやけながら
前に進む

あと何度、この廊下を歩くのだろう
次の帰り道では
笑顔の余韻で
もう少し足どりが軽いことを
期待したい

今日も『さんぽ』にお付き合いいただきありがとうございます🌿

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